JF1DIR業務日誌(はてなblog版)

アマチュア無線局JF1DIRのアクティビティをつづっています。

全集に就いて

読書の秋になってきましたので、本の話題を。

小説のたぐいは、値段、携帯性や入手性の観点から文庫本を買って読むことが多いのですが、ややマイナーな作家や作品になると単行本に収録されてなかったり、その作家の書簡や日記まで全部読みたいときなどは個人全集にあたらなければなりません。そこで図書館に通ってちまちまと全集を借りてきては少し読みまた借り直して、を繰り返していたのですが、どうも面倒になってきたので思い切って全集を買ってみることにしています。世界文学などの全集は端本で何冊か持っているのですが、さすがに個人全集を揃いで買うことは考え及びもしなかったのです。
近所のブックオフなどの古本屋へ行ってみると、揃いになった全集を見かけることはありません。神田の古本街まで行くと状態の良い全集の揃いが置いてあるのですが、専門家や研究者向けなのか結構な値段。とても手が出ません。一方、ヤフオクマーケットプレイスで見かける全集は驚くほど安く文庫本よりも安い。どうやら昭和四十年ごろの全集ブームで大量に出回ったものが古本市場に回収されてしまい、買い手がつかない状態のようです。確かに古臭くてデカくて邪魔になるだけの全集など今時買う人はいないでしょう。ココを見るとそんな事情がわかります。しかし、長年の図書館通いで全集を読んでいるとわかるのですが、読書の醍醐味こそ全集にあると思うのです。小林秀雄氏も全集を読み通せ、と言っておられる。

余談になりますが、図書館にある棚にずらりと並んでいる個人全集や文学全集を眺めていると、ある巻だけ妙に背表紙がボロボロになっているのを見かけます。ウチの近所の図書館ならば、例えば太宰治池波正太郎山崎豊子などがボロボロになっており人気が有ることがよくわかります。漱石全集や中上健次全集は一〜五巻くらいがボロボロでそれ以外は新品同様。本の中身を確認するまでもなく外観状態だけで小説が収録されている巻がわかるのですね(笑)。人気がないのか泉鏡花正宗白鳥全集は古い版であるにも関わらず全巻新品同様だったりとか。個人全集は書架の場所を占有する割に借り手が少ないので書庫行きになってしまうケースが多いようですが、いろいろな全集を眺めることができるのは図書館しかないので、隅っこの棚で良いのでなるべく開架にしていただきたいと思います。

閑話休題。文庫で読めるのはだいたい読んでしまって他の随筆や評論も読んでみたいと思ったのが、小林秀雄や江藤順などの批評家のものです。ヤフオクマーケットプレイスが探すと揃いで2,000円で買えてしまいました。送料込みでも一冊あたり250円程度。

ほとんど読まれた形跡がなく函の状態もまぁまぁで、ずっと本棚に飾ってあったようです。昭和四十二年の版で、近所の図書館で読んだ平成七年の版とは活字の感じは同じですが、紙質がだいぶ違うようです。写真だと分かりにくいかもしれませんが(クリックすると拡大表示できます)、平成版には紙面に薄っすらと横縞のすかしのような模様がついており、頁をめくる時の手触りが非常に良い。

手に入れた昭和版はそのような紙質ではなかったのが残念でした。とまあ、豪華な全集ならでは楽しみ方ができます。一方、全集を手にして困るのが置き場所です。一通り読んだら自炊するという方針で問題を回避する予定です(汗)。
最近手に入れた全集は、谷崎潤一郎全集です。全二十八巻なのでかなり躊躇しましたが、新潮や中公文庫に収録されている作品はほぼ全て読んでしまい他の随筆や批評等も読んでみたくなりました。前もって図書館で下調べすると、谷崎全集には存命中に刊行された新書版全集、没後の昭和四十一年の菊版、白い背表紙の愛読愛蔵版、現在刊行中の決定版などがあります。今回手に入れたのは昭和四十一年の菊判のもので、最も重量があります(苦笑)。

函に少しだけ焼けシミがありましたが、中身は注文伝票が挟まった状態の全く読まれた形跡なしで、一冊当たり約600円で入手できました。精興社による活版印刷の版であり、マニアの間では有名ですが独特の精興社書体が美しく滋味深い。菊判を買って正解でした。ちなみに岩波の漱石全集や志賀直哉全集なども初版は精興社の活版印刷です。

漱石志賀直哉全集には読んでもつまらない書簡、日記や草稿が膨大に収録されているのですが、さすが作家キャリア50年だけあってそんな巻は谷崎全集にはなく全巻読んで楽しめそうです。何年かかるか分かりませんが、渡部直己伊藤整の谷崎批評と合わせてゆっくりと読んでいるところです。