JF1DIR業務日誌(はてなblog版)

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偉大なる失敗

ムセンに関するネタも尽きてきたので、最近読んだ本について評してみたいと思います。
ブルーバックスを含めて、科学に関する読み物は以前から相当読み散らかしています。なかでも最近出版されたマリオ・リヴィオ氏による『偉大なる失敗』を読んでみたところ割りと面白かったのでご紹介します。

偉大なる失敗:天才科学者たちはどう間違えたか

偉大なる失敗:天才科学者たちはどう間違えたか

趣味で科学者を伝記をよく読んでいます。偉大な発見・発明でよく知られる学者であっても人間的に欠陥があったり社会的なトラブルに巻き込まれたりと波瀾万丈な人生で結構面白いものです。例えばニュートン万有引力の法則などの極めて偉大な業績を残したことで有名ですが、実は結構意地悪く、同時代のライバルを蹴落とすことに躍起になっていたようです(フックやライプニッツ達のことですね)。

本書は5人の偉大な科学者の数々の業績にまつわる「失敗」を論じます。「偉大」と付くのは単なる失敗ではなく後世へ科学の発展に繋いでいったものであり、科学史的にも非常に興味深いエピソードでありました。特に失敗にいたる天才科学者たちの心理や周囲の状況にまで筆が及んでおり、ミステリーチックな展開で非常に楽しめました。順に簡単に紹介します。

まずは進化論のダーウィンの失敗。ダーウィンの自然選択による進化理論は地球上の生物が今のような特徴を持つように至った理由を見事に説明していた。ルネサンス期の科学の復興以来どの科学進歩よりも大きく人類の思想を激変させるほどの理論。しかし遺伝の法則についてはダーウィンの当時では全くわかっていなかった。当時の遺伝のメカニズムとしては素朴な「ペンキ入れの理論」、つまり祖先の遺伝的な寄与の度合いは一世代を経る毎に半分になる、という仮説を受け入れていた。これでは自然選択のメカニズムは期待通りの作用をし得ない。ダーウィンは誤った仮説の導入により自己撞着に陥ってしまい、偉大な自らの理論に傷を付けてしまった。

次にウィリアム・トムソンことケルビン卿の失敗。ケルビン卿は熱力学(ジュール・トムソン効果、絶対温度の単位で有名)や電磁気学常磁性反磁性の発見)で数多くの業績を残したけど、晩年になって地球物理学における大きな謎である地球の年齢の計算に取りかかった。地球ができた時の初期温度、深さに応じた温度の変化率、地球の地殻岩石の熱伝導率の値から地球の年齢を数千万年〜4億年と見積もった(現在わかっている年齢は45億4,000万年)。あとに放射年代測定によって反駁された。これはマントル対流の可能性を無視したため。しかしケルビン卿は30年間も頑なに同じ主張をし続けたのだった。

次はライナス・ポーリングの失敗。ポーリングといえば2度単独でノーベル賞を受賞しているほどの偉業の大化学者で、化学結合の基本概念やタンパク質の構造決定を行った。タンパク質の次はDNAの構造決定に取り組んだ。DNAが遺伝物質であるということはなんとなく分かっていたのだけど、DNAの基本構造について重大なヒント(自己相補性の原理)を見逃してしまった。またDNAの重要性を十分に認識していなかった故に、DNAは3重ラセン構造だ、という誤った見解をうっかり発表してしまう。その3重ラセン構造は酸としての性質は持っていない!という化学屋として大ポカをやってしまう。その後すぐにワトソン・クリックによる正しい2重ラセン構造が発表される。どうやらポーリングは相補性のヒントをもらった化学者(シャガルフ)のことを嫌っていたようだ。感情的な反応が如何に大きな影響を及ぼしうるかは興味深い。

次はフレッド・ホイル。恒星内部の元素合成の研究で著名。ハッブルにより宇宙の膨張が発見され、宇宙がどんどん閑散としていく「ビッグバン=宇宙進化理論」とホイルが提唱する物質量が一定に保つ「定常理論」は対立していた。ビッグバンの有力な証拠である宇宙マイクロ波背景放射が発見されてもホイルは自説を曲げることはなかった。これが誤り。ポーリングもそうだけど、科学者はキャリアの終盤になると、全く新しい科学分野に目を向けてしまうことが多いらしい。

最後はアインシュタイン相対性理論で有名だが、宇宙は不変で静的な構造実現するためには、重力とちょうど釣り合う何かしらの斥力が存在するはずだ、と重力方程式に「宇宙項」を入れてしまう。しかし、当時の観測結果から必要がなく、また方程式が美しくないという理由で後になって「宇宙項」を除去してしまう。その後、ハッブルによる宇宙の膨張の発見、1960年代に提唱された「零点エネルギー」、1998年の天体観測により明らかになった「宇宙の加速度的膨張」という発見からダークエネルギーの存在が示唆され、再び「宇宙項」が復活したのだ。つまり、アインシュタインは「宇宙の膨張」と「宇宙の加速」を予言するチャンスを逃してしまったのだ。これが偉大なる失敗だった。

・・・・・と、偉大なる失敗には偉大なる科学の発展につながっていることを見事に描いています。ぜひ一読を。